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皇帝のボディガード

ハンス=ゲオルク・シュヴァルツェンベック

 すべての栄光には、影の立役者がいる。ハンス=ゲオルク・シュヴァルツェンベックは、光が当たらない場所ながらも、献身的にFCバイエルンに尽くし、バイエルン黄金期を支えたメンバーだ。

 同氏は、サッカー界の中でも珍しいタイプの選手だった。バイエルンでキャリアを始め、バイエルンで終わりを告げた。1966年から1982年、当時の絶対的存在のフランツ・ベッケンバウアーの後ろで常に"ボス"を支えた。

 当時の戦術としての役割は、フィールド中心でプレーし、ボールを奪って相手の攻撃を止めることだった。そのプレーにおいて、シュヴァルツェンベックはまさに理想的な選手だった。皇帝のボディガードとも呼ばれる同氏は、素早くタックルし、相手の攻撃の芽を摘んだ。相手チームがどこから攻撃してこようが、ディフェンスをし続けた。このポジションは、ほぼスポットライトが当たることはない。それでも、シュヴァルツェンベックはバイエルンのために献身的なプレーを止めることはなかった。

 シュヴァルツェンベックのバイエルンデビュー戦は、1967年のドイツカップ、対ハンブルグ戦だった。しかし本人は、「あの試合は良かったと思うけれど、それよりかなり多くの決勝戦を戦ったから、正直に言うとあまり思い出せないんだ」と本心を明かしている。ちなみにその試合は、バイエルンが4-0で勝利した。

 バイエルンで416試合、UEFA主催の大会に70試合、ドイツ代表として44試合に出場。また、キャリア通算21ゴールを記録した。さらに、ブンデスリーガ6度の優勝(1969、1972、1973、1974、1980、1981)、ユーロカップウィナーズカップ優勝(1967)、そしてチャンピオンズカップ3連覇(1974-1976)を達成。その他、ドイツ代表として欧州選手権優勝(1972)、西ドイツW杯(1974)、欧州選手権準優勝(1976)も成し遂げた。

 同氏のキャリアの中で最も特別な瞬間は、1974年にブリュッセルで開催されたチャンピオンズカップ決勝戦、対アトレティコ・マドリード戦だ。その試合は、0-0のまま90分間では決着が付かず、延長戦へと突入する。そして試合が114分に差し掛かった時、シュヴァルツェンベックがPA付近で相手を倒し、FKを与えてしまう。アトレティコ・マドリードのルイス・アラゴネスの直接FKは、ゼップ・マイヤーでさえ止めることは出来ず、バイエルンのゴールネットを揺らした。そしてこの瞬間、誰もが敗北を覚悟した。

 しかし、同氏は自分のミスからの失点を取り返すべく、試合終了直前に相手ゴール前25メートルの距離からミドルシュートを叩き込んだ。試合はそのまま終了し、ヨーロッパ主要大会決勝の歴史上、初の再試合が行われることになった。「あのシュートは、ペレでも真似することは出来ないと思う」と、自分で試合後にコメントしている。2日後に行われた再試合では、バイエルンが4-0で勝利を収める。そして、世界中のスポーツ報道社がこの勝利を称賛し、バイエルンの時代が来たと伝えた。その言葉通りバイエルンは、翌年と翌々年、チャンピオンズカップを優勝し3連覇を成し遂げた。

 シュヴァルツェンベックの素晴らしいメダルコレクションの中で特別なのは、やはり1972年の欧州選手権優勝メダルと、1974年西ドイツW杯優勝メダルだ。もし、謙遜的かつチームに多大なる貢献をしたプレイヤーを選ぶ賞があるとしたら、同氏は間違いなく最有力候補になっていただろう。

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