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「皇帝時代」幕を閉じる

ベッケンバウアー、名誉会長就任

選手、監督、首脳 – フランツ・ベッケンバウアーは50年以上前からFCバイエルン・ミュンヘンに携わってきている。ドイツレコードマイスターでの「皇帝時代」は金曜夜、幕を閉じることになった。15年間クラブ会長を務めた後、同64歳は再選を希望せず、マネージャーのウリ・ヘーネスがドイツ最大のスポーツクラブの頂点として彼を継ぐことになる。fcbayern.deはFCバイエルンの名誉会長となる「皇帝」の唯一無二のキャリアをまとめてみた。

1958年、当時12歳のフランツ・ベッケンバウアーがFCバイエルン入団。「皇帝」が名誉会長として退くことになる。

選手時代

FCバイエルンで、リーガ優勝3回そしてUEFAチャンピオンズカップを3度制し、黄金の70年代を築きあげた。ベッケンバウアーはクラブ内でリベロのポジションを確立、DFのリーダーとしてだけではなく、司令塔としても君臨することになった。

代表選手として、1972年にドイツ代表チームを欧州選手権優勝に導き、1974年に自国開催のW杯で念願の優勝を果たした。1977年、アメリカのプロサッカーリーグ、コスモス・ニューヨークに移籍、ペレとともにプレーすることになった。1980年、ハンブルガーSVに復帰、度重なる故障のあとに1983年に引退するまで同クラブでプレーすることになった。

監督時代

1990年7月8日、当時代表監督ベッケンバウアー率いるドイツはアルゼンチン代表を1:0と下し、3度目となるW杯覇者となった。選手そして監督としてもW杯を制したのはブラジルのマリオ・ザガロだけだった。

1994年1月、FCバイエルンの副会長に就任していたベッケンバウアーはエリッヒ・リベックを解任して、自らが代理監督を務めることになった。2年後、もう一度監督として指揮を執ることになった。オットー・レーハーゲルを解任した1996年4月末、シーズンラスト数週間ほどトレーニングを任された。リーグ戦を制することはなかったが、バイエルンはジロンダン・ボルドーとの決勝で、UEFAカップをクラブ史上初獲得することになった。

首脳

1991年、チームが低迷していたとき、会長のフリッツ・シェーラーがベッケンバウアーに助けを求めることになった。3年後に会長に就任。マネージャーのウリ・ヘーネスと副会長のカール=ハインツ・ルンメニゲを側近とし、彼はドイツレコードマイスターの運命を定めることになった。FCバイエルンはこのトロイカの下、経済的にヨーロッパではマンチェスター・ユナイテッドに次ぐ、2番目のビッグクラブとして成長することになった。1998年にはドイツサッカー協会の副会長に就任、そして2006年のワールドカップ招致に向けて動きだすことになった。

ドイツW杯招致に成功した後、ベッケンバウアーは当然のことながら組織委員委員長に就任することになった。2007年1月、ベッケンバウアーはUEFAの会議において、FIFAの理事会のヨーロッパ代表者として選出された。

人間性

気軽、エレガントそしてさりげないベッケンバウアーは忙しい日々のなかで生活している。そのなかでストレスに対し抵抗力のある彼が彼のように光の当たらない人生をおくる人々への視線を失うことはない。