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「深い悲しみに包まれた」

FCバイエルンがウド・ラテックの死を悼む

ドイツサッカー界の、そしてFCバイエルン・ミュンヘンの偉大な男、ウド・ラテックが逝去した。享年80歳だった。

バイエルン・ミュンヘン代表取締役社長カール=ハインツ・ルンメニゲは、「ウド・ラテック逝去の報に、私たちは深い悲しみに包まれた。彼の名は、FCバイエルン・ミュンヘンの勃興、そして栄光の70年間と切っても切り離せない」と語った。彼は18歳のとき、ウリ・ヘーネス、パウル・ブライトナーとともに、ウド・ラテックによってバイエルンに引き抜かれた。

ルンメニゲは「ウド・ラテックは、最も成功したドイツ人サッカー監督の一人だ。その上、数十年の長きに渡り国内外のスポーツ界にとって非常に重要な人物だった。彼の死によって、私たちはFCバイエルンの偉人であり、個人的な支援者かつ友人を失った」と続け、その死を悼んだ。

ウド・ラテックは、1970年から1975年にFCバイエルン・ミュンヘンの監督を務め、チームを3度のリーグ優勝、3度のDFBポカール優勝、ヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップ優勝(1974年)に導いた。ボルシア・メンヒェングラートバッハ、ボルシア・ドルトムント、FCバルセロナの監督を歴任したのち、1983年に再びミュンヘンに戻っている。FCバイエルン再就任後の4年間で、ラテックはさらに3度のリーグ優勝と2度のDFBポカール優勝を果たした。

バイエルン監督のペップ・グアルディオラも「ウド・ラテックは抜きん出たサッカー指導者で、偉大な人格者だった。彼はFCバルセロナの監督としても素晴らしい功績を残した」と語っている。ラテックは世界的スターであるディエゴ・マラドーナを擁した同チームの監督として、UEFAカップウィナーズカップ(1982年)のタイトルを獲得している。

FCバイエルンは偉大な監督、そして友人を失った。しかし我々のクラブにおいて、ウド・ラテックの名が忘れ去られることはないだろう。同氏のご家族に心からお悔やみを申し上げます。