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60歳の誕生日にインタビュー

アウゲンターラー「そこで私は”ワニ”と叫んだんだ」

 クラウス・アウゲンターラーは1980、1990年代のFCバイエルンを代表する選手だ。同氏は見事なポジショニングで王者FCバイエルンのディフェンスを強固なものにし、精確なロングパスで相手陣へとボールを飛ばし多くの守備的危機を救った。トップ・プレーヤーのアウゲはしっかりと役割を果たした。

 同氏は17年間FCBのユニフォームに身を包み(545試合、52得点)、主将として7シーズン(1984年から1991年)チームを率いて、ブンデスリーガでは7回、DFBポカールでは3回の優勝を果たした。FCBにのみ所属したプロ選手であるアウゲンターラーは、9月26日(火)に自身の60回目となる誕生日を祝った。

 またアウゲンターラーは5年間FCBでのアシスタントコーチを務めており、かつてリベロとして活躍した同氏は人生の3分の1をゼーベナー通りで過ごした。1990年にW杯王者となった同氏は「私は常にチームについて考えていた」と語り、自身とFCBの関係性を言葉にした。そして同氏は最近、エキスパートとしてBayern.tv liveに出演しており、長年共に過ごした「家族」の元へと帰ってきた。

 アウゲンターラーはオーストリア・グラーツにいる身近な仲間と共に誕生日を祝う。そしてその数日前、ニーダーバイエルン出身の同氏は自身のキャリアとFCバイエルンについてfcbayern.comに話をしてくれた。

クラウス・アウゲンターラーとのインタビュー

こんにちは、アウゲンターラー氏。火曜日は60回目の誕生日ですね!この特別な日にどのような印象
を抱いていますか?

アウゲンターラー:「50歳の頃よりもちょっと気が重いね。しかし決定的に重要なのは、自分がどのように感じるか、ということだ。夜ベットへ行って朝元気に目覚めることが出来たら、それは幸せなことだと思っているよ」

では、健康面での問題はありませんか?

アウゲンターラー:「本来そういった問題は全くないんだが、1年半前に人工の腰を入れたんだ。これをするまでに2、3年躊躇した。しかし今では自分自身が生まれ変わったように感じるし、またサッカーをすることが出来るようになった。また活動的になれて、とても嬉しいよ」

この60年間をどのように振り返りますか?

アウゲンターラー:「いつも自分に問い掛けるんだ、どこで時間が止まったんだろうってね。去年ドナウシュタウフにいた頃のようにトレーニングを指揮していたりピッチ上にいるなら、頭では実際よりももっと若く感じるんだ。自分のことをまだ30歳くらいに思うだろう。でも身体は違うからね。だからやっぱり自分は30歳ではなくて、その倍の60歳なんだと気づくんだ」

クラウス・アウゲンターラー
FCバイエルンは常に私のチームであり、私の家族だった。

自分の過去を見返して、何かを変えたいと思ったことはありますか?

アウゲンターラー:「私の人生は全て上手くいったと思っている。選手としては1つのクラブ、FCバイエルンでずっとプレーしていた。そして17年間選手として過ごした後、5年間はアシスタントコーチとしてバイエルンに所属していたんだ。確かに後から考えれば、一度イングランドでプレーすることに興味を持っていたかもしれない。当時としてはそこまでモダンなプレースタイルではなかったけれど、とても気に入っていたからね。ブレーメ、クリンスマン、そしてマテウスのようにイタリアへ移籍した選手もいるし、そういう選択も一つの経験になっていただろうね。でも自分は間違った選択などしていないと思うよ」

先程おっしゃったように、20年以上FCバイエルンで活動をされてきましたね。ご自身にとってFCBはどのような意味を持っていますか?

アウゲンターラー:「私は常に、そして今もこのチームのことを考えている。FCBは常に私のチームであり、私の家族だったんだ」

FCバイエルンに所属中に7回もブンデスリーガ優勝を経験され、そのうち5回は主将を務めていましたね。特別記憶に残っているブンデスリーガのシーズンはありますか?

アウゲンターラー:「当たり前だけど最初のブンデスリーガ優勝は特別だったよ。それ以外でも最終節でタイトル獲得が決まった1986年も強く印象に残っている(トップを争うヴェルダー・ブレーメンと勝点同数だったが、同クラブよりも得失点差が良かったため、バイエルンが優勝した。編集部注)。ブレーメンは手強い相手で常に私達の先を行っていたから、これは本当に特別な年だった。前季の11月のホーム戦で、私はルディ・フェラーにファールしてしまい、彼はその後5か月間試合に欠場することになってしまった。そして後季の対戦で彼はカムバックを果たした。フェラーはその試合でPKを獲得したのだが、もし(ミヒャエル・)クツォップがそのPKを決めていたなら、私たちは2位になっていただろう。だからこそ、この年のブンデスリーガは一番記憶に残っているよ」

この長いキャリアの中できっと何かおかしなことも起きていたことでしょう。何かその中で我々にお話ししていただけることはありますか?

アウゲンターラー:「たくさんあったね。例えば、ベルナルドがFCバイエルンに移籍した時のことだ。それはシーズンの最初で、私達はちょうどボート遊びをしていて、ベルナルドは正午頃に空港に着いたばかりだった。そして私たちが昼食を食べていた時にベルナルドが合流したんだ。その時ウリ・ヘーネスが、ベルナルドはもしかしたら泳げないんじゃないかと言ったんだ。だから私達はすごく慎重になって彼がボートから落ちないようにした。でもみんなもうビールを飲んでいたし、彼が水の中に落ちるまでそんな時間は掛からなかったね。そこで私は「ワニ」と叫んだんだ。あんなに速く泳ぐ人を初めて見たよ、水深は腰までくらいだったのにね(笑)」

今またFCバイエルンに戻り、エキスパートとしてFC Bayern.tv liveの『ロスタイム』で王者FCBの試合を分析されていますね。この仕事はどうですか?

アウゲンターラー:「これは驚くほど楽しい仕事だよ。またFCBファミリーに戻って来られたんだ。仕事の同僚だけでなく、トレーニングで選手達に会うこともある。この場所でわたしに再び様々な可能性が開けているというのは素晴らしいことだよ」

いつかまた監督として仕事をすることは念頭に置いていますか?
アウゲンターラー:「一度歯車の中に入ってしまえば、完全に離れることは出来ない。私は一度休止をして、これからは自分が楽しいと思うことだけをすると言って、釣りに出かけた。でもいつか、釣り針を見たくなくなる。そしてどこかむずむずしてくる。でも絶対に監督職に就きたいわけではない。もしそういう問い合わせが来れば、いつでも聞くことは出来るよ。最近の問い合わせは外国からのものだったんだけど、外国へは行きたくないんだ。グラーツ、レヴァークーゼン、そしてヴォルフスブルクと外国へは十分行ったからね(笑)」

選手時代にはその素晴らしい視力と完璧なロングパスが有名でしたね。現在のFCバイエルンに第2のクラウス・アウゲンターラーはいますか?

アウゲンターラー:「マッツ・フンメルスとジェローム・ボアテングかな、でも彼らは私よりも鍛え抜かれていて体格も良い。だが私もこの体格にしては、本当に多くの成功を得たと思うよ」

では最後にもう一つだけ、指導者としてのキャリアの中で起こった奇妙なシーンについて説明していただけませんか?1996年のカールスルーエSC戦では、なんだか居眠りをしているように見えましたが…?

アウゲンターラー:「そう見えただけだよ!あの試合は本当にクリエイティブなものだった。KSC相手に私たちは1−0の先制をしていて、その日はとても寒かったんだ。私はよく自分の腕時計を見ていたんだが、それがちょうどスローモーションで映されたんだ。それで眠っているように見えたんだろうね。あれは試合開始から78分のことで、私は残り時間が早く過ぎてくれないかと願っていたんだ」

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