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120年のマイルストーン

1965年:1部昇格、観客から絶対王者へ

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  FCバイエルン創設120周年 – 120年間にわたる栄光、歓喜と情熱 。2月27日のクラブ創設120周年を記念して、fcbayern.comはドイツ絶対王者が手にした栄冠の数々を振りかえる。

 ブンデスリーガが全国リーグとして新しいスタートを切った1963年8月24日、FCバイエルンは観客の役割に甘んじた。4つの地域リーグ・オーバーリーガ、及びベルリン都市チームの総計46チームがブンデスリーガ参加を希望。FCバイエルンは全ての条件を満たしたもの、前季オーバーリーガ王者であり12年間の成績で上回る、同都市に拠点を置くライバルのTSV1860ミュンヘンに1部の席を譲ることとなった。

 火力爆発:FCバイエルンは1シーズンで146得点を記録、昇格争いでは更に18ゴールを挙げた。

 競技面での挫折はFCBの反骨芯をより一層煽り、結果的にはクラブに幸運を呼び込むこととなった。当時会長を務めたノイデッカー・ヴィルヘルムは、1962年に1. FCケルンを優勝へと導いたズラトコ・”チック”・チャイコフスキーを同年1部同様新設された地域リーグ・レギオナルリーガ監督として招聘。だが経済的な窮乏により、多額の出費を伴うプロ選手の獲得は断念するに至った。

初年度は2位でフィニッシュ

 この苦境の打破するためクラブはユースチームを創立、生え抜き及びバイエルン地方出身の才能ある選手を中心にチームを構成した。フランツ・ベッケンバウアー、ゼップ・マイアー、ディーター・ブレニンガーをはじめとする若手選手が台頭、瞬く間に旋風を巻き起こし、FCバイエルンは南部レギオナルリーガ初年度をヘッセン・カッセルに続く2位で終えた。だが続く昇格争いでFCBは僅か1ポイント差でボルシア・ノイキルヒェンに及ばす、1部昇格を逃した。

 高きに登るには低きよりす:選手に肩車をされる昇格請負人ズラトコ・”チック”・チャイコフスキー監督。右はヴィルヘルム・ノイデッカー会長

 続くシーズン、FCバイエルンはついに悲願の1部昇格を達成。前年以上の若返りを図ったチームの平均年齢は22,5歳。生え抜きの選手14名、主将アディ・クンスト・ヴァルト、ヴェルナー・オルク、ライナー・オウルハウザーをはじめとするベテランに加え、TSVネルトリンゲンから当時18歳のゲルト・ミュラーが陣容に加わった。

FCバイエルンが昇格をかけた勝負へ挑む

 この面々と共にチャイコフスキー率いる「Junge Wilde(猛々しい若者達)」がシーズンを通しリーグを席巻、リーグ戦36試合で146得点を奪う。オウルハウザー(42得点)とミュラー(33得点)だけでチームの総得点のおよそ半分を挙げた。ゴール前では若きゼップ・マイアーが堅守を見せ、1試合平均失点はわずかに0,83に抑えた。バイエルンは圧倒的な強さで南部レギオナルリーガを制覇し、再び昇格をかけた戦いへと挑んだ。

 悲願達成!昇格を達成したベルリンでの最終戦でゲルト・ミュラーとディーター・ブレニンガーがファンと共にセレブレーション

 昇格争いでもFCバイエルンは破竹の快進撃は止まらず、18得点3失点、9ポイントを獲得し 落とした勝ち点は僅か3。1. FCザールブリュッケン、アルマニア・アーヘン、TeBeベルリンを抑えグループ2を制した。とりわけ第4戦と続く最終戦のザールブリュッケン戦(5-0)、ベルリン戦(8−0) ではチャイコフスキー指揮するチームの火力が爆発、切望し続けたブンデスリーガ昇格の夢を叶えた。その55年後、FCバイエルンのレターヘッドにはリーグ優勝29回の文字が踊る。それはドイツプロサッカー界で比肩するもののない記録である。

 その50年後:2015年8月、昇格を果たした英雄たちがアリアンツ・アレーナでその功績を称えられた。
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