presented by
Search Fill-1
Menu
120年のマイルストーン

2001年:25年振りにヨーロッパ王者に返り咲く

Increase font size Text size

 FCバイエルン創立120周年 – 120年間にわたる栄光、歓喜と情熱 。2月27日のクラブ創立120周年を記念してfcbayern.comはドイツ絶対王者が手にした栄冠の数々を振り返る。

 FCバイエルンが再びヨーロッパサッカーの頂点に上り詰めるまでに25年がかかった。1976年のヨーロピアン・チャンピオン・クラブズ・カップ優勝以降初めて、バイエルンは2001年に改めてビッグイヤーを手にすることとなった。ジオバネ・エウベルはfcbayern.comに「あれは本当に素晴らしかったね、喜んで思い返せる年だ」と当時の優勝について語った。

チームとして成功へ

 当時ストライカーとして活躍したエウベルにとって、この成功の要因は明確だ。「私たちは1つのチームだった。一人ひとりが他の選手、そして監督のために力を尽くした」と説明した同ブラジル人はオットマー・ヒッツフェルトの貢献にも言及し、「監督は選手全員を平等に扱った。つまりチームは完璧だったよ」と述べた。

1999年のリベン

 FCバイエルン史上最も苦い思い出:1999年のCL決勝でマンチェスター・ユナイテッドと対戦したFCBは、長い間1-0のリードを保っていたがアディショナルタイムに2失点し敗北した。しかしFCBはこの落胆を大きなエネルギーに変えた。

 この優勝は当たり前のことではなかった。バイエルンにはチャンピオンズリーグ決勝にまつわる苦い思い出がある。1999年、FCBはCL決勝のアディショナルタイムにマンチェスター・ユナイテッドに2ゴールを奪われて1-2と逆転され、考えられる限り最悪の形で優勝を逃していた。当時負傷しており、この試合をカンプ・ノウで見守るしかなかったエウベルは、「このような試合の後はキャリアを終えたくなるよ」と当時の心境を打ち明けた。

波のあるシーズン

 PK戦の末にオーバーリーガのFCマグデブルクに3-5で敗れ、バイエルンは驚くべきことにDFBポカールを第2回戦で敗退することになった。FCBはそれでもチームとして団結していた。

 現在47歳のエウベルは「2000年はあまり良くなかったね。でも2000-01シーズンが始まる時に改めて、1つにまとまらないといけないと誓い合った」と思い返すが、同シーズンも絶好調とはいかなかった。マグデブルクと対戦したDFBポカールの第2回戦でまさかの敗退を喫し、リーグでは一時5位まで順位が落ち込んだ。しかし「でも厳しい時期こそチームの団結に気づくことができる」とエウベルが言うように、チームの雰囲気は決して悪いものではなかった。 

エッフェンベルクの下で改めて一致団結

 国内のリーグ戦とカップ戦では調子は今一つのバイエルンだったが、チャンピオンズリーグはグループ首位(パリ・サンジェルマン、ローゼンボリ、ヘルシンボリと同グループ)で1次グループを通過することができた。しかし2次グループリーグではオリンピック・リヨン相手に0-3で大敗し、決勝トーナメント進出が危うくなった。「会長のフランツ・ベッケンバウアーには厳しく批判されたよ ― 当然だね」と、エウベルも当時のFCB会長に同調する。選手たちはその後キャプテンのシュテフェン・エッフェンブルクの部屋に集まり、「ビールを飲みながら、何が改善されるべきか話し合った」という。

レアル・マドリード相手に威信をかけた対決

その効果はてきめんに表れた。バイエルンは2次グループリーグ(アーセナルFC、オリンピック・リヨン、スパルタク・モスクワと同グループ)でも1位通過を果たし、準々決勝に進出した。そこでマンチェスター・ユナイテッド(1-0、2-1)を下したFCBは、準決勝で前年度チャンピオンのレアル・マドリードと対峙した。「他にないようなビックマッチだったね、当時の彼らは銀河系軍団と呼ばれていた。1つひとつのポジションを見れば、私たちは最高のチームではなかった。でもチームとしての私たちは強かった」と、エウベルはこのトップクラスの対戦を振り返った。

準決勝のために全力を尽くしたエウベル

 準決勝での出場が危ぶまれていたジオバネ・エウベルがレアル・マドリード戦2ndレグの8分に先制点を挙げ、FCBの決勝進出への道を開いた。

 エウベルは1stレグの10日前に膝の手術を受けており、準決勝でプレーできるかわからない状態だった。しかし同ブラジル人は早期復帰のために全力を尽くし、FCBにとって幸運なことにレアル・マドリードとの1stレグに間に合った。そして55分、重要な決勝ゴールをバイエルンにもたらした。更にエウベルは2ndレグでも先制点(8分)を挙げ、バイエルンは最終的に2-1の勝利を収めて決勝に進出した。

ハンブルクで手に汗握る最終節

 続けろ、更に続けろ!ハンブルクで行われた白熱の試合でFCバイエルンはドイツマイスターとなり、数日後のチャンピオンズリーグ決勝に向けて勢いづいた。

 バイエルンは同シーズン終盤、ブンデスリーガでシャルケ04と熾烈な優勝争いを繰り広げていた。そして最終節のハンブルガーSV戦を引き分けで終えればマイスターシャーレを手にする可能性があった。しかしこの試合の90分にセルゲイ・バルバレスにゴールを奪われてハンブルガーSVにリードされてしまう。既にシャルケが試合を終えて優勝を確信していたその時、パトリック・アンデションが間接フリーキックを決めて同点に持ち込んだ(エウベル「彼はそれまで一度もバイエルンでフリーキックを決めたことなどなかった」)。こうしてバイエルンは同シーズンのドイツ王者に輝いた

 ハンブルクでの白熱の最終節後、マイスターシャーレを手に優勝を祝うジオバネ・エウベル。2001年にFCBが獲得したタイトルは、これ1つに止まらなかった。

 エウベルは「ハンブルクでの試合はとてもとても重要だった。あそこで優勝できていなかったなら、CLでも優勝を逃していただろう。そうしたら精神的なダメージは大きかったよ」と断言した。エウベルは、ミラノで行われた決勝直前にデジャヴを感じ、不安を覚えたという。バイエルンは決勝で3分と早い時間帯にビハインドに陥り、更に7分にはメーメット・ショルがPKを失敗。2001年にW杯チャンピオンになっているエウベルは、「99年の決勝が頭をよぎった。全ての流れが僕たちに反していると思った」と当時の苦しい状況を思い返した。

PK戦の末バレンシアに勝利

 

 タイタン!オリヴァー・カーンが最後のPKを止め、バレンシアとの決勝のマッチウィナーとなった。

 しかしFCBの選手はお互いに鼓舞しあい、50分に主将エッフェンベルクがPKを決めて同点に追いついた。延長戦ではどちらのチームもリスクを冒すことなく、勝負はPK戦にもつれ込んだ。エウベルは100分に交代でピッチを去っており、チームメイトのプレーを見守っていた。これについてエウベルは、「前もってそのように取り決めていたんだ。私はPK戦が得意ではなかった」と打ち明けた。エウベルはピッチラインの外側で、この日が「オリ・カーンにとって絶好調の日」だったことを目の当たりにした。バイエルン守護神が3本のPKをセーブし、チームはCL優勝を祝うこととなった。

ミラノとミュンヘンで盛大なパーティー

 

 目標達成:ミュンヘンのマリエン広場でファンと共にCL優勝を祝うジオバネ・エウベル

 その後に続いたのは大きな喜びと盛大なパーティーだ。エウベルは「優勝カップを持ってファンと一緒にスタジアムで祝ったことは覚えているけど、その後のことはあまり覚えてない」と認めた。翌日ミュンヘンに帰還したFCBチームは車に乗り込み、市庁舎に向かって凱旋パレードを行った。「今まで経験したなかで最も素晴らしいことだったよ。W杯チャンピオンのリザラズさえ、このような体験は今までしたことがないと言っていた。それほど多くの人々がレオポルド通りとマリエン広場に集まっていたんだ。あれは一生忘れないよ」と語るエウベルは、当時の感動を今も覚えている。25年の時が過ぎ、バイエルンが再びヨーロッパの王者となった。

その次にバイエルンがCL優勝を果たすまで12年の年月が流れた。しかしその2013年にバイエルンが獲得したタイトルはチャンピオンズリーグだけではなかった:

News