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65歳の誕生日おめでとう

カール=ハインツ・ルンメニゲ:美丈夫、世界的スター、人格者

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 フランツ・ベッケンバウアーにとりカール=ハインツ・ルンメニゲは「当初から変わることなく、美丈夫の青年」だった - 「皇帝」の口から発せられる、これ以上の称賛があるだろうか?FCバイエルンの象徴ともいえる同氏は同代表取締役社長の全キャリアに寄り添い、70年代半ばに現役選手として出会った。ベッケンバウアーは「カレは筋骨隆々とした、1番の俊足を誇る強力なドリブラーだった。彼以上の才能を有していた若手選手は存在しなかった」と述懐する。ルンメニゲは自らの道を突き進んだ。一介の選手から世界的スターへと上り詰め、FCバイエルンの代表取締役社長として時代を築いた。本日25日(金)、65歳の誕生日を迎えた同氏は「振り返ってみると、実に幸福だった」と自らの人生について語った。

へーネス「傑出したストライカーの1人」

 当時18歳だったルンメニゲと現在の同氏を比較し、ウリ・へーネスは「脱帽しなければならない:カール=ハインツは世界でも有数のストライカーであり、自らの人生において信じられないほど多くを成し遂げた。彼はピッチ上だけでなく偉大な人格者へと成長を遂げ、人生のあらゆる局面においても勇敢さを失わない一角の人物となった」と評価する。ベッケンバウアーもまた、その才覚にもかかわらず年若いストライカーが当初は内向的だったことを克明に覚えている:「彼は時折集中力を欠き、教会の塔だか何だかを眺めていた - だがクラーマー・ディットマーが『カレ!』と怒鳴ると、彼は走り出した、信じられなかったよ」

ハイナー「偉大な人物の1人」 

 ヘルベルト・ハイナーは70年代と80年代の写真を取り出し説明する:「この金髪の癖毛の青年は、引き締まった脹脛から放ったシュートでクロスバーの下にボールを叩きつけたんだ」。現会長はルンメニゲを「偉大な選手の1人」と称し、プロキャリアの始まりには、既にその消極性は影を潜めていたと語る:「カール=ハインツはどの課題にも驚異的なまでの集中力で臨み、態勢を万全に整え、自分の望むものが何かをこの上なく熟知していた。彼はFCバイエルンの為に輝かしい実績を挙げた。ウリ・ヘーネスと共に、この数十年間のわたるFCバイエルンのサクセスストーリーの立役者だ」。 

 2021年の終わりには、同代表取締社長がオリバー・カーンに自らの地位を引き継ぐことが決定している。後継者である自分に課されたハードルがこの上なく高いことを、同氏は十分に認識している。カーンが「カール=ハインツは信じられないほどの経験を積んでおり - その為彼の言葉には常に注意深く耳を傾けている」と語る一方で、取締役会の同僚であるハサン・サリハミジッチは同氏が構築した「巨大なネットワーク」を強調する:「ウリ・へーネスと彼のおかげでFCバイエルンは世界的な存在になった」。

1人の男、2つのキャリア

 ルンメニゲは自らの辿ったキャリア、その2つで成功を収めてきた:1つはストライカーとしての、そして2つ目は役員としてのキャリアだが、同氏はその表現をあまり良しとはしていない。「私にとって彼は2つのキャリアで成功を収めた模範例を体現している」とハイナーは言う。ルンメニゲは「FCバイエルンの成功こそが自分の使命」と考え、その実現にかける意欲を次のように表現した:「FCバイエルンは私の人生の目的だ」。

「ブライトニゲ」コンビの誕生

 ようやく選手として世界の頂点に立ったパウル・ブライトナーは、ルンメニゲを散歩へと誘った。1978年にFCバイエルンに復帰した同選手は「この数年間、君のプレーを追っている」と会話の口火を切った。ブライトナーは、ルンメニゲは中盤という誤ったポジションを与えられ、守備から解放されるべきだとの見解を持っていた。ルンメニゲにとりこの新しい役割分担は、飛躍を意味していた:「彼は自分の強み、自身の持つスピード、ドリブル、ゴールの嗅覚に集中し - 我々はリーグを席巻したのだ」。それは歴史に名を刻む、クラブ史上最も有名なデュオ「ブライトニゲ」誕生の瞬間だった。

イタリアで人格者として成熟

 当時マネージャーだったへーネスは、ピッチ上の同2選手と完璧なワンツーパスを交わしていた。「カール=ハインツは野心家で、才能を伸ばし続けていた」とへーネスは振り返る。だがそれもインテル・ミラノが記録的な金額で彼を獲得するまでの話だ。「彼の金額は1100万マルクだった」とヘーネスは記憶を手繰り、「現在だったら軽く1桁多めに要求できただろう - ユーロに換算することなくだ」と断言した。ルンメニゲはイタリアで人格者として成熟し、後に同じ道を辿ったローター・マテウスは「ミラノの人々は今尚、マテウス、アンドレアス・ブレーメ、ユルゲン・クリンスマンについて話すだけでなく、何よりもカール=ハインツ・ルンメニゲの名を口にする。彼はティフォージを熱狂させたんだ」と想起する。

ライバルからルームメイトへ

 1986年のワールドカップでマテウスは、目標を定めたルンメニゲがどれほど野心的であるかを身をもって体験した。2人は合計8週間をルームメイトとして過ごし、筋肉の負傷に悩まされていたルンメニゲは医師の施術を夜遅くまで受けていた。「午前2時にホテルの廊下でスプリントをしていた。何がなんでもフィットネスを整えたがっていたんだ。とても印象的だったよ。彼は大きな痛みを抱えていたからね」。マテウスの尊敬の念は、日を重ねるごとに高まった:サッカー選手としてのキャリアを始めたメンヒェングラードバッハで、マークを任された同選手に3ゴールを許し4−1で敗れた経験を通し、既に大きなものであったにもかかわらずだ。「私は彼を無力化する役割を任されたが、歯が立たなかったよ - 彼はあまりに強すぎた」とマテウスは当時を述懐する。

ブライトナー「皆が驚きで言葉を失った」

 ルンメニゲのキャリアハイについて「私はたった一言で南米中に衝撃を与えたことがある」とブライトナーは笑顔で振り返る。1981年、アルゼンチンで同国代表との国際試合を控えた記者会見で、ディエゴ・マラドーナとジーコ、最高のサッカー選手はどちらかと質問された同氏は「ルンメニゲ」と答えたのだ。「皆、驚きで言葉を失った。でも私は答えるのは簡単な質問だと言っただけだ」。

ベッケンバウアー「常軌を逸した存在」

 ルンメニゲへ贈られた数々の祝福と賛美の言葉と共に、同氏の65歳の誕生日に祝杯を上げよう。最後を飾るのはのは「皇帝」ベッケンバウアーの言葉だ:「世界のサッカーにおける史上最高の選手として、どのランキングにもカール=ハインツ・ルンメニゲの名が上ることだろう。彼はピッチ上では常軌を逸した選手であり、人としても完璧だ」

 ルンメニゲの傑出したキャリアをフォトギャラリーで振り返ろう:

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