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先見の明の持ち主

カール=ハインツ・ルンメニゲ

 カール=ハインツ・ルンメニゲがFCバイエルンに加入してから何が起こったかを振り返ってみよう。同氏は、バイエルンに移籍したことについて"神風ミッション"と表現した。当時のバイエルンはブンデスリーガを3連覇しており、ボルシア・リップシュタットからやって来た無名の18歳ストライカーは、どのようにチームのポジション争いに割って入ったのだろうか。

 しかし、その青年はやってのけた。ルンメニゲは、バイエルンでの2シーズン目(1975-76シーズン)にレギュラーに定着した。そして、1976年10月6日にドイツ代表としてデビューを果たす。同氏のプレースタイルと言えば、ダイナミックで、緩急を使い、自信に満ちたプレーだった。さらに、得点チャンスを嗅ぎ分ける能力が異常なまでに高かった。ルンメニゲのバイエルンでのキャリアの統計データを見ると分かるが、2試合で1ゴール以上を決めている。ブンデスリーガ310試合に出場し、162ゴールを記録。これはバイエルン史上、ゲルト・ミュラーに次ぐ2番目のゴール数である。

ルンメニゲのメダルコレクション

 ルンメニゲは、バイエルン所属時に数々のメダルを獲得した。ブンデスリーガ得点王(1980、1981、1984)、ドイツ年間最優秀選手(1980)、ヨーロッパ年間最優秀選手(1980、1981)、インターコンチネンタルカップ優勝(1976)、欧州チャンピオンズカップ2連覇(1975、1976)、ドイツカップ優勝(1982、1984)、ブンデスリーガ優勝(1980、1981)、さらにドイツ代表として欧州選手権(1980)も制した。

 "カーレ"(ルンメニゲのニックネーム)は、1983-84シーズン終了後に移籍金600万ユーロ(約8億円)でインテル・ミラノに移籍。1987年から2年間、スイスのセルヴェットFCでプレーした後、「引退することに後悔はないよ。15年間もサッカー選手としてプレーすることが出来たからね」という言葉とともに引退した。ルンメニゲはプロの鏡だった。世間を騒がすといえば、ピッチ上で卓越したプレーを見せた時だけで、ピッチの外では騒ぎを起こすことは1度もなかった。常に論争とスキャンダルを避けるように気をつけていたのだ。正しい言動、自制心を併せ持つ、堅実な人格者である。

先導者としてバイエルンに戻る

 "カーレ"は、バイエルンが優勝候補でありながらも優勝を逃したシーズン後の1991年、バイエルンの副会長に就任した。フランツ・ベッケンバウアーとウリ・ヘーネスと共に、チーム再建に取り組んだ。すぐにフットボール界で『先見の明の持ち主』と評価を得た。今日では、バイエルンの"外務大臣"として、多岐に渡る仕事をこなしつつ、ECA(欧州クラブ協会)の会長として、世界中のサッカーに関わる職務にも就いている。

 さらに、2002年に株式会社FCバイエルンの会長に就任した。今日でも同氏は会長としての役割を続けている。

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