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クラウス・アウゲンターラー

 バイエルンで7度のリーグ優勝と3度のドイツカップ優勝、そして1990年ワールドカップ優勝を果たしたクラウス・アウゲンターラーの記録に、追いついた者はまだいない。

 クラウス・アウゲンターラーは、ブンデスリーガの歴史上最も成功した選手という名声を手にした。バイエルンで“アウゲ(ドイツ語で“目”)”は、リーグ優勝7回(1980年、1981年、1985年、1986年、1987年、1989年、1990年)、DFBドイツカップ優勝3回(1982年、1984年、1986年)、欧州チャンピオンズカップ準優勝2回(1982年、1987年)という華々しい成績を残している。

 そして、1990年は輝かしいキャリアの中でも最も栄光に満ちたものであった。アウゲンターラーは、ワールドカップ・ローマ大会決勝で堅い守りを敷くドイツ代表の柱となり、アルゼンチン相手に1-0の完封勝利を飾った。さらにそのわずか数週間後、彼は7度目のリーグ優勝で得たブンデスリーガ優勝盾をバイエルンの空に向かって掲げたのだ。今でも彼は、「私は、最も多くの王者の証を手にした選手であることに確固たるプライドを持っていると語る。

 “アウゲ”はバイエルンで404試合、ドイツ代表で27試合に出場。52得点を挙げた。最も有名なゴールは1989年8月19日、ミュンヘンがアイントラハト・フランクフルト相手にアウェイで1-0の勝利を飾った一戦だ。1984年から1991年までキャプテンとして、当時のリベロのポジションを務めたアウゲンターラーは、フランクフルトのGK・ウリ・シュタインをハーフウェーラインからの一弾でねじ伏せ、このゴールは『シーズンベストゴール』、『ここ10年間で最高のゴール』として賞賛をさらった。

 ニックネーム“アウゲ”は彼の姓から来ているが、ドイツ語では「目の意味を持つ。始めはセンターハーフ、のちにクラシックなリベロとしてキャリアを積んだ彼の、動きを読み、後方から試合をコントロールする能力を表したものだ。

 1991年に現役を引退してバイエルンのアシスタントコーチとなったアウゲンターラーは、1996年にUEFAカップ優勝とリーグ戦2位を経験。1991年から97年にかけて、ユップ・ハインケス、セーレン・レアビー、エーリッヒ・リベック、フランツ・ベッケンバウアー、ジョバンニ・トラパットーニ、オットー・レーハーゲルのアシスタントを務めた。

 1998年7月1日に監督に就任したオットマー・ヒッツフェルトがミヒャエル・ヘンケを連れてくると、バイエルンはアウゲンターラーに他クラブでヘッドコーチの職を見つけるよう説得する。アウゲンターラーは、「バイエルンはいつも私のすべてだった。私はまだ、バイエルンの一員だと思っていると、つらい決別だったことを明かしている。

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