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回顧第一章

FCBアメリカツアー:第一ステップ

「Go west」とは、FCバイエルンにとって7月30日から始まる9日間のアメリカツアーの幕開けを意味している。目的地はニューヨーク、ポートランド、そしてオレゴン。ペップ・グアルディオラとチームは、今回もまたアメリカツアーの歴史に新たな1ページを刻もうとしている。これまでFCBは、東海岸からカリフォルニア、五大湖からフロリダと、アメリカ各地でプレーをしてきた。そして今回、fcbayern.deが54年間にも及ぶアメリカツアーの歴史を1から振り返る。

第一章:ニューヨーク、カリフォルニア、五大湖

1960年:オーバーリーガがアメリカTVへ

当時バイエルンがアメリカツアーを行った頃、アメリカのプロサッカーはまだ開幕したばかりだった。1960年5月にアメリカの企業家ウィリアム・D. コックスが初めてインターナショナル・サッカー・リーグ(ISL)を創設し、さらには1965年までに数多くの著名なサッカーチームが世界中から集った、サマー大会も開催。第一回大会では、イングランドから暫定王者のバーンリーFC、北アイルランドからグレナヴォンFC、スコットランド準優勝のキルマーノックFC、フランス前チャンピオンのOGCニース、そしてFCバイエルンが参加した。

ドイツ代表としてニューヨークに向かったバイエルン。当時の監督アドルフ・パテックは、GKアルパッド・ファツェカスやMFルードヴィッヒ・ランデラーなどを中心に非常に強力なチームを作り上げていた。しかし同チームは5月25日、1万人の観客が訪れたマンハッタンのILS開幕戦で、後に決勝進出を果たしたキルマーノックの名誉となる対戦相手を務めたが、残念ながら3-1で敗れてしまう。大会は2グループ(各グループに6チーム)に分かれ、グループリーグの勝者同士が対戦するというシステムだった。

その後、5月28日のバーンリー戦は0-3で破れ、6月10日のアメリカ選抜ニューヨーク・アメリカンズにも1-2と惜敗。6月2日のグレナヴォン戦には3-0で勝利し、アメリカ中にTV中継された6月6日のニース戦は2-2のドローで終わり、最終的に下から2番目という順位で大会を後にした。しかし、結果は二の次で、この経験自体が非常に価値のあるものとなった。

1966年:ツアーに臨むポカール覇者

実際にアメリカを横断したのはそのさらに6年後になる。1966年、数週間にわたるサマーツアーでバイエルンは、カリフォルニアから五大湖、そしてカナダへ少し寄り道し、最終的にニューヨークへと足を運んだ。出発の日は6月6日。DFBポカール決勝戦からたったの2日後だ。そして出発から4日後の6月10日、サンフランシスコのケーザースタジアムで迎えた初戦、12,000人の観客が集まる中、スコットランド王者のセルティックと対戦し、2-2で引き分けた。

その数週間後に開幕のW杯イングランド大会の前にアメリカへと飛んだフランツ・ベッケンバウアーやゼップ・マイアー、ゲルト・ミュラーを擁するバイエルンは、非常に良いパフォーマンスを披露していた。

その後の結果:

6月10日:3-3 対オレンジ・カウンティー(ロサンゼルス)
6月15日:3-0 対アトラス・グアダラハラ(ロサンゼルス)
6月17日:3-3 対トッテナム・ホットスパー(デトロイト)
6月19日:1-1 対トッテナム・ホットスパー(シカゴ)
6月22日:9-0 対ミルウォーキー・アマチュア選抜(ミルウォーキー)
6月26日:11-2 対セント・ルイス・ホワイト・スター(セント・ルイス)
6月29日:2-2 対ACトリノ(トロント)
6月30日:3-3 対AC トリノ(ニューヨーク)

1979年:“カイザー(皇帝)”を訪問

1979年6月のFCバイエルンのアメリカツアーの目玉は、フランツ・ベッケンバウアーとの再会だったといっても過言ではないだろう。その年の2年前にニューヨーク・コスモスへ移籍を果たしていた元FCBキャプテン。その後を追う形でバイエルンはアメリカへと渡り、7月4日、アメリカの独立記念日にも関わらず42,366人の観客が集まったジャイアンツ・スタジアムでアメリカリーグの王者と対戦。この試合では、ディーター・へーネスとヴォルフガング・クラウスがゴールを挙げ、チームを2-0の勝利へと導いた。

アメリカツアー第二章は726日(土)公開予定