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「偉大な人物」

デットマール・クラマーが90歳に

どのようにして人は、「自分は世界放浪者である」と感じるのか。その答えを知る者がいるとすれば、それはデットマール・クラマーだ。のちにバイエルンの監督となる同氏は、最初の偉大なドイツ人サッカー監督として非常に思い切って海外でのキャリアをスタートし、キャリアの終焉を迎えるまで実に90カ国以上でパイオニアとしてその責務を全うした。この「世界放浪者」は、バイエルン南部のライト・イム・ヴィンクルに居を構えており、そこで4月4日(土)に90歳の誕生日を迎える。

クラマーと特別に関係の深いFCバイエルン代表取締役カール=ハインツ・ルンメニゲは、「親愛なるデットマール、誕生日おめでとうございます!あなたに乾杯!」と誕生日を迎える同氏を祝福した。若き日のルンメニゲはクラマーの指導のもと、ワールドクラスの選手となるための重要な進歩を遂げたのだ。元FWとして活躍したルンメニゲは、「今の私があるのは彼のおかげだ。彼は、特に(当時の)我々のような若手選手の育成の面で、本物のサッカー指導者だった。彼がいなければ私は、幸運なことに授かった今のようなキャリアを歩むことは決して出来なかっただろう」と同氏の功績を振り返った。

クラマーは1974年まで国際サッカー連盟(FIFA)に所属し、彼がアメリカ合衆国の代表監督を数ヶ月間務めることになるまで、インストラクターおよび監督として約70カ国で働いた。そして1975年、ついに同氏はFCバイエルンの監督に就任し、即座に成功を収めたのだ。ルンメニゲは、「彼は、バイエルン・ミュンヘンをチャンピオンズリーグ(当時はヨーロピアン・チャンピオンズ・クラブズ・カップ)優勝に2度導いた唯一の監督だ」と当時を振り返る。ルンメニゲにとって、1976年にグラスゴーで獲得したこのタイトルが『最大の勝利』となった(編注:サンテティエンヌと対戦し、1-0でFCバイエルンが勝利)。

「彼は偉大な監督」

しかし、身長165cmで小柄だったクラマーは、非常にユニークなジョークのセンスを持つゼップ・マイアーから、一度軽蔑的に「ものさし(身長の低い人に対する悪口)」と呼ばれた過去がある。とは言え、本人もナポレオンのコスチュームを身に纏い、その姿を撮影させるようなこともしていたのだが。そして、唯一ドイツの国内タイトルを獲り損ねたクラマーは、特別近い関係にあったフランツ・ベッケンバウアーについて、「私とフランツが一緒にいれば、同じ波長を発信し合い、そして受け合う」と、相性の良さを説明している。

また、このサッカー愛好家はのちに新しい文化と触れ合うことになり、その地で敬意さえも集めてみせる。その地とは日本だ。日本にはサッカーのプロフェッショナルとして招聘され、日本代表の指導にあたった。その功績から、日本人はクラマーを「日本サッカーの父」と呼ぶ。また、そこで箸を使う練習を重ね、その習得した技術を見せて選手たちを驚かせたという話もある。

クラマーは、失敗を何よりも嫌っていた。同氏のモットーは、「改善の可能性がある限り、それは十分ではない」だ。「私は常に、少しでも良くしようと試みていた」。だが、クラマーの印象というものは、ルンメニゲが保証するように、何もサッカーの世界だけには留まらない。「彼は偉大な監督だった。そして、特に偉大な人物だった」とルンメニゲ。