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「ブレは常に信頼できる」

フランツ・ロートの70歳の誕生日!

 バイエルン・ミュンヘンの黄金時代を支えたフランツ・ロート。同氏は、デビューした年からクラブ内でのポジションを確立し、1967年のUEFAカップウィナーズカップ決勝グラスゴー・レンジャーズ戦では、当時21歳のロートが延長戦で1-0の決勝ゴールを奪い、バイエルンを国際大会初優勝へ導いた。そんな同氏が約49年後の本日4月27日、古希となる70歳の誕生日を迎えた。

 カール=ハインツ・ルンメニゲは、この誕生日に際しビデオメッセージを録画。「親愛なるブレ(雄牛の意。力強いプレースタイルから付いたあだ名)へ。FCバイエルン全体を代表して、私が古希のお祝いをさせてもらうよ。君はバイエルン・ミュンヘンにとって、常に信頼のおける大切な選手だった。特にカップ戦の決勝は別格だったよ。FCバイエルンのためにしてくれたことの全てに感謝する!」と述べ、メミンゲン出身のロートの記念すべき日を祝福した。

 バイエルン史全体を見渡すと、ロートは1975年と1976年のUEFAチャンピオンズリーグの決勝でも重要なゴールを挙げている。2-0で勝利したリーズ・ユナイテッド戦では、先制点を決めてチームを勝利の道へ導くと、翌年のASサンテティエンヌ戦では、この試合唯一のゴールをフリーキックから決め、バイエルンを優勝させた。フランツ・ベッケンバウアーやゲルト・ミュラー、ゼップ・マイアーなどと共に黄金時代を生きたロートは、「これらの重要なゴールを決められたのは、もちろん素晴らしかった。チームもとてもよかったし、最高の時代だった」と当時を振り返った。

 バイエルン州のバード・ヴェリスホーフェンとマルクトオーバードルフに、2つのスポーツ施設を息子と共同経営するロートは、非常にフレンドリーな人格の持ち主で、彼が会話をするときは、ほとんどいつも笑顔だ。しかしブレは、ピッチになると途端に不屈の強さを見せる。彼のチームメイトでさえ、ときおり気をつけなければならないほどだった。ウリ・ヘーネスは、「当時は、トレーニングでもすね当てを装着するようにしていた。なぜなら、フランツが私に対して怒ったときは、陸上競技用のトラックまで飛ばされるって分かっていたからね。だから、私にとってトレーニングはサバイバルだったよ。そして、その中で私は信じられないほど成長することができた」と回想した。

 元チームメイトからは、ロートのシュート力に関する逸話も聞くことができた。まずは、SKラピード・ウィーンでゴールネットに穴を作ったときの話だ。「ボールは枠内に入っていたのに、審判がノーゴールという判定を下した。でも、私たちはその後、ネットが破けていたことを発見したんだ。そうしたら、審判がゴールと見なしてくれた」と本人が説明。また、もう一つの話は、グリュンヴァルダー・シュターディオンでスタジアムの時計にシュートを放ったという出来事だった。「時計を撃ち落としたわけではないよ。スコアや試合の状況が示されている掲示板に当たったんだ。そうしたら時計が飛んだ。少し混乱させたね」。

「ここバイエルンでは、全てが問題なかった」

 農家の子供だったロートは、50年前の1966年にもバイエルンのプレシーズンで忘れられない印象を残している。当時チームを率いていたチク・カイコフスキ監督は、W杯イングランド大会から帰還したばかりの選手たちを見て、「あそこに牛(ムー)並みのパワーがあるやつがいる」と話していたそうだ。だがゼップ・マイアーは、「私たちのところでは、ムーではなくブレというんだ」と方言の違いを訂正。こうして、今でも呼ばれているロートのあだ名が生まれた。

 ロートはまた、FCバイエルンでブンデスリーガ322試合に出場し、チームを牽引。本来の彼の仕事は、相手の司令塔を潰すことだったのにも関わらず、ロートは合計72ゴールも挙げた。これは、FCバイエルンの通算得点ランキングだと、12位にランクインする数字だ。

 1966年から1978年までの12年間、同氏はバイエルンでプレーし続けた。その間、海外からも高い評価を受け、ACミランやグラスホッパー・チューリッヒなどからもオファーが届いていた。ロートは、それらのオファーを全て断った理由を次のように説明した。「欧州内でここ以上のクラブがなかった。だから移籍する理由はないだろう? 給料アップのためにクラブを変えて、幸せを逃す選手もいる。ここバイエルンでは、問題は何一つなかった」。

孫娘とアレーナ入り

 ブレは、32歳のときにFCバイエルンを去った。その後1年間、オーストリアのカジノ・ザルツブルクでプレーし、それからアマチュアのSVザンドハウゼン(オーバーリーガ)で現役を引退。そして故郷のアルゴイへ戻った。ロートは、今でもFCBと親密な関係を保っており、ホーム戦のときはアリアンツ・アレーナまで足を運んでいる。最近では、カップ戦準決勝のブレーメン戦(2-0)に来場し、孫娘のフィナがキャプテン・フィリップ・ラームのエスコートキッズを務めた。

 ブレがバイエルンについて話すときは、必ず「私たちは」、「私たちに・を」という言葉を使う。つまり、彼はいまでも、バイエルンと共に目標を追いかけ、厳しいときは共に悩み、タイトルを獲得したときは共に祝福する。そして、今夜もまた記念すべき誕生日に乾杯をすることになるだろう。誕生日おめでとう、ブレ・ロート!