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1900年から1932年

最初から順風満帆

 バイエルンの歴史は反抗から始まった。1900年2月27日、後にバイエルンの初代会長となるフランツ・ジョンに率いられた11人の男たちが、ミュンヘンのとあるカフェ『ギゼラ』にてFCバイエルン・ミュンヘンを設立した。バイエルンの創設は同時に、サッカーを単なる流行に流された英国スポーツとして冷笑していた『男子体操クラブ(MTV)』からの脱退を意味した。

 1906年1月1日、ピッチの確保と経済的な理由からバイエルンは、自立を保った上で、『ミュンヘン・スポーツクラブ(MSC)』の支配下に入ることを決定。その際の条件は、赤いズボンと白いシャツからなるMSCのユニホームを着用することだった。この色が、現在のバイエルンのユニフォームの元となっている。

 レオポルト通り沿いに新たな拠点を設けた1907年から、バイエルンの飛躍が始まった。新たなホームでの杮落としで、地元のライバルFCヴァッカーを8-1で敗った。ここからバイエルンが、ミュンヘンでトップの地位を築いていくプロセスが始まった。しっかりとしたスタンドのおかげで、観客はその成長過程を快適に見守ることができた。1910年、彼らは南ドイツの東地区リーグでタイトルを獲得する。

たったの10年で最初の代表選手を輩出

 翌年、多くの人が冷笑しながらもバイエルンは無敗でタイトル防衛に成功する。そのチームには代表選手も含まれていた。彼の名はマックス・ガブロンスキー。1910年5月16日、ベルギーに0-3で敗れた試合でドイツ代表デビューを果たすと、その後、バイエルンの選手としてのドイツ代表初得点を記録した。

 そしてその後は、その進歩のスピードはどんどんと加速していく。1920年、FCバイエルンのクラブ会員数は700人にのぼり、現在に至るまでミュンヘンで最も大きいサッカークラブの地位を確立した。1926年に南ドイツ選手権で優勝を果たすと、1932年には全国制覇の時がやってきた。大量のファンが自転車で押しかけた決勝の地ニュルンベルクで、バイエルンはアイントラハト・フランクフルトを2-0で下した。得点者は、ローアとクルム。スター選手は、ハイドカンプとブラインドル。そして監督、マッサージ師、マネージャー、SDの役割を一人で担っていたのは、オーストリア人のリチャード・コーンだった。

FCバイエルンの歴史