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闘将

ローター・マテウス

 鳥肌が立つとはこのような瞬間なのだろう。2000年3月8日22時37分、ミュンヘンにあるオリンピアシュターディオンは超満員だった。このチャンピオンズリーグのバイエルン・ミュンヘン対レアル・マドリード戦の試合終了直前、背番号10番の選手がピッチを去った。会場内はカメラのフラッシュライトと共に歓声に包まれ、観客は「ありがとうローター」「君がいたことを光栄に思う」などと書かれたボードを掲げ、スタンディングオベーションで同選手に別れを告げた。その試合はローター・マテウスにとってFCバイエルンで最後の公式戦だった。

 マテウスは、ドイツマイスターのバイエルンで過ごした12年間で多くの成功を手にした。同氏のサッカー人生の全てはFCヘルツォーゲンアウラハから始まった。1979年、ボルシア・メンヒェングラートバッハ監督だったヨーゼフ・ハインケスが当時18歳だったマテウスを獲得。その後、同氏は1984年にFCバイエルンに移った。

バイエルンでの多大なる功績

 マテウスは7度のブンデスリーガ優勝(1985年-1987年、1994年、1997年、1999年、2000年)、3度のDFBポカール優勝(1986年、1998年、2000年)、そしてUEFAカップ優勝(1996)を果たし、FCバイエルンの歴史上、最も多く功績を残したプレーヤーの1人となった。カール=ハインツ・ルンメニゲは、「FCバイエルンの歴史上、これほど大きくチームに貢献してくれた選手は少ない」と、その中の1人であるマテウスを称えた。

 1988年から1992年の4年間、マテウスはイタリアのインテル・ミラノに所属したが、その後は再びバイエルン・ミュンヘンに戻っている。同氏はインテル・ミラノ時代にスクデット(1989年)とUEFAカップ(1991年)を獲得した。マテウスのキャリアにおいて最大の成功は、1990年イタリアW杯優勝である。

ドイツ代表最多出場とバロンドール

 マテウスはドイツ代表として150試合に出場したが、これほど多く出場した選手は過去に前例がなく、おそらく今後もその記録を超える選手は出てこないだろう。FCバイエルンではブンデスリーガ302試合に出場し、85ゴールを決めた。また、同氏はドイツの年間最優秀選手(1990年、1999年)、欧州年間最優秀選手(1990年)、そしてバロンドール(1990年、1991年)に選出されている。

 ピッチ上でのマテウスは走力、洞察力、パスの精確さ、闘争心、シュート力と、どれをとっても超一流で、常にチームに対する責任を背負っていた。彼は数年間、キャプテンとして常勝バイエルンを率いた後、2000年の春にバイエルンからニューヨークに本拠地を持つメトロスターズ(現レッドブル・ニューヨーク)に移籍した。1年後に、彼の偉大なキャリアに幕が下りた。

 

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