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カフェ・ギゼラより世界中へ

FCバイエルン、115歳の誕生日を祝う

小説『神の剣』の中で、「ミュンヘンは輝いていた」と世紀の変わり目である1900年頃の同市を描写したのは、トーマス・マンだ。摂政王子ルイトポルトの下で芸術や文化が花開き、ミュンヘンはユーゲントシュティールの中心地として繁栄した。中でも芸術シーンが活発な盛り上がりを見せていたのはシュヴァービング地区だ。1900年の告解火曜日(2月27日)、まさにその場所で小さな反抗勢力が立ち上がった。数人の気概ある男たちが集まり、FCバイエルン・ミュンヘンを設立したのだ。

FCB設立115周年を記念して、fcbayern.deが「世界ブランドにまで成長した」(カール=ハインツ・ルンメニゲ)チームの誕生から現在までを振り返る。

カフェ・ギゼラから世界中へ

ある夜、「放っておけ、どうせ戻ってくるさ」という声が響く中、11人の若者が足取りも荒くミュンヘンのマリエン広場近くのレストランベッカーヘーフルを後にした。一体何が起こったのだろうか?

この時ベッカーへーフルではトゥルンフェライン・ミュンヘン(MTV)の総会が行われていた。チームのサッカー部門は当時、イギリススポーツの流行に乗っているだけだと嘲笑され、MTV内部には長年にわたり亀裂が入っていた。それでも選手たちは上を目指して努力し、リーグ戦参加資格を得るため南ドイツサッカー連盟への加入を希望していた。しかしこの夜、MTVにそれを拒否されたのだ。

サッカー部門の17人は、もともと彼らの目的やプランに対するMTVの無関心さに不満を持ち、総会の行われる数週間前に意見を書面にまとめていた。そこには、MTVがサッカー選手の努力を認めず支援を惜しむ場合、彼ら17人は脱退してFCバイエルンという名の新チームを設立することが記されていた。この手紙は今日、FCバイエルンの設立宣言として認められている。

こうして2月27日の夜、17人のサッカー選手のうちMTVの総会に出席していた11人はフランツ・ジョンを先頭にしてその場を去り、徒歩10分ほどの距離にあるオデオン広場近くのカフェ・ギゼラに向かった。そこで彼らは有言実行を守る。彼らはその場でFCバイエルンを設立し、初代会長にはフランツ・ジョンが就いた。

新しいクラブは急速な成長を遂げ、瞬く間にミュンヘン最大のサッカークラブとなった。FCバイエルンは1920年にはすでに700人の会員を抱えていたが、現在その数は25万5千人を越えており、ミュンヘンどころか世界で最大のサッカークラブとなっている。さらにバイエルンは世界中に3,800ものファンクラブを持っている。また、最近チームの収益金は5億2800万ユーロに到達した。タイトル獲得についても成果は華々しいものだ。これまでバイエルンはブンデスリーガで24回、DFBポカールで17回優勝しており、さらにチャンピオンズリーグで5回、インターコンチネンタルカップでは2回、そしてFIFAクラブワールドカップとUEFAカップでそれぞれ1回の優勝経験を誇る。そんなバイエルンの115回目の誕生日は見逃せないものだ。FCバイエルンは輝いている!

FCバイエルンの115年間のハイライト:

1932612日:ドイツ国内リーグ初優勝
会場はニュルンベルク。数多くのバイエルンファンが自転車で駆けつけていた。FCBがアイントラハト・フランクフルトを2-0(得点者:オスカー・ロー、フランツ・クルム)で撃破しタイトル獲得。当時の監督はリトル・ドンビという愛称を持つリチャード・コーン。会長はクルト・ランダウアーだった。

19571229日:DFBポカール初優勝
42,000人の観客が見守る満員のアウグスブルガー・ローゼンアウスシュターディオンで、ルディ・ヨブストが決勝ゴールを挙げ、1-0でフォルトルナ・デュッセルドルフを下し優勝した。

1965626日:ブンデスリーガへ昇格
南部レギオナールリーガで優勝を果たすと、その後のプレーオフでも圧倒的な力を見せたバイエルン。テニス・ボルシア・ベルリンとの試合を8-0で制し、昇格を決めた。当時このチームを率いていたのは、「チコシュ」ことズラトコ・カイコヴスキ監督。

1967531日:UEFAカップウィーナーズカップ初優勝
FCバイエルンはニュルンベルクでレンジャーズFCと決勝戦を行った。試合は0-0のまま延長戦へ。すると108分、フランツ・ロートが決勝点を挙げ、1-0で勝利した。

19696月:初の2冠達成
バンコ・ツェベック監督指揮の下バイエルンは、2位に勝ち点差8をつけてクラブ史上初のブンデスリーガ制覇を達成。6月7日に優勝皿を受領した。そしてその1週間後、バイエルンはさらに2冠の達成を喜ぶことになる。フランクフルト・アム・マインで行われたDFBポカールの決勝戦で、ゲルト・ミュラーが2ゴールを挙げる活躍を見せ、シャルケを2-1で下した。

黄金の70年代
ゼップ・マイアー、フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラーというメンバーを擁したFCバイエルンは、今日を含め史上最高の時代を経験していた。バイエルンは1974年(アトレティコ・マドリードとの再試合で4-0)、1975年(リーズ・ユナイテッドAFCに2-0)、1976年(ASサンテティエンヌに1-0)にかけてUEFAチャンピオンズカップで3連覇を果たした。また、1976年にはインターコンチネンタルカップでも優勝している(クルゼイロECに2-0)。その他にも1972-74年にブンデスリーガ3連覇、そして1971年にDFBポカールを制している。

80年代:ブライトニゲ、ラテック、マジェール
パウル・ブライトナーとカール=ハインツ・ルンメニゲ、そして少し後のウド・ラテック監督と共にFCBは、5度のブンデスリーガ優勝(80、81、85-87年)と3度のDFBポカール優勝(82、84、86年)と、国内で大きな成功を収めた。一方、国際大会ではやや不振に陥り、1982年と1987年で2度、UEFAチャンピオンズカップのタイトルを獲り逃している。1982年:アストン・ヴィラに0-1、1987年:FCポルトに1-2。ラバー・マジェールのあの痛恨のヒールキックゴールは今でも忘れられない。

1996515日:UEFAカップ優勝
FCバイエルンがクラブ史上最初で最後のUEFAカップ優勝を果たす。FCジロンダン・ボルドーとの決勝戦は、ホームのミュンヘンで2-0、アウェイのボルドーで3-1と、2試合ともに勝利を挙げた。
ハプニング:決勝戦の数日前、オットー・レーハーゲル監督が辞職。フランツ・ベッケンバウアー会長が代役を務め、勝利へ導いていた。

2001523日:ついに欧州王者の座を奪還
FCBがずっと待ち焦がれていたチャンピオンズリーグ優勝を手にする。決勝の舞台はミラノのサン・シーロ。FCヴァレンシアとの対戦は120分の激闘の末、1-1。PK戦に縺れ込んだが、そこでオリヴァー・カーンが大活躍する。FCBの守護神が3本のシュートを止め、最終的にチームを5-4の勝利へ導いた(1-1、0-1)。さらに11月には、インターコンチネンタルカップも制覇している(ボカ・ジュニアーズに1-0)。

2000年から最高峰へ
2000年に入ってからFCバイエルンは、クラブ史上最高の時代のひとつを再び歩んでいる。1999年から今日にかけて、バイエルンは合計10ものタイトルを獲得。そして8度の2冠を達成した。ハイライトは2001年と2013年のCL優勝。2013年にはドイツのクラブ史上初となる3冠も達成。さらに同年の最後には合計5つものタイトルを奪取してみせた(FIFAクラブW杯、UEFAスーパーカップ、チャンピオンズリーグ、ブンデスリーガ、DFBポカール)。

2010年から2013年まででFCバイエルンは、チャンピオンズリーグの決勝を3度戦っている。2010年にはインテルに0-2で敗れ、2012年にはチェルシーにPK戦の末5-4で敗北を喫したが、2013年にようやくロンドンのウェンブリー・スタジアムで優勝を果たした(ボルシア・ドルトムントに2-1)。